三陸書房
連載 けせんぬま追想 第6回
続 冬・1月【年木】
    年木樵るひとりの斧の音の中    美柑みつはる
昭和30年代の初めの頃のことです。雑木山の木たちが次々と伐採され、からっぽになった斜面に杉苗が整然と植えられていきました。木挽(こびき)さまと呼ばれる伐採専門のひとたちが、対岸の山の集落から島に渡ってきて、来る日も来る日も雑木山に鋸と斧の音を響かせました。
木挽さまたちの使う鋸はどれも異様な形をしていました。柄が太く、刃が畳のように大きかったり、背中の部分が鯛の背中のようにゆるやかな弧を描いていたり、鋸の刃の両端に柄の付いた二人挽きの独特の形をしているものもありました。目立てを終えた刃に触ると、鮫の歯のように互い違いに鋭く反ってごつごつしていました。
木挽さまは、腰に吊るした獣の毛皮を尻の下に敷き、鋸を持った手になんども唾をくれて、リズムを取るように時間をかけて押し引きを繰り返します。最後の鋸が入って「いくぞーっ!」と声があがると、二抱えも三抱えもある木たちが、樹体をねじりながら、空を掃くようにゆっくりと弧を描いて斜面に倒れていきました。しなやかに幹が弾んで、落ち葉や土埃をまきあげると、手伝いのひとたちからぱらぱらと拍手が湧きおこって「ご苦労さんでした!」とねぎらいの声がかかるのでした。
歳時記で「年木(としぎ)」を引くと「年神に供える燃料のこと。束ねて門松の根元や家の戸口などに置いた」とあります。この「年木」を準備するために木を伐ったり、割ったり、積んだりすることを、「年木樵(き)る」「年木割る」「年木積む」。それに従事するひとを「年木樵(としきこり)」といいます。厳密にいうと「年木」の本意は「年神に供える燃料」のことなのですが、いまではその本来の意味も薄れ、「正月用の薪」と拡大解釈し、それにまつわる季語も「正月用の薪を準備する作業」として使われているようです。
冒頭に掲げた美柑みつはるさんの句は、「ひとり山の中に入って年木を伐るため斧を振り上げている自分」を詠んだ句です。自分以外の第三者が木を伐っている景を詠んだと考えることもできますが、その場合は「年木樵(としきこり)」と距離を置いた季語を使います。句は成り立ちますが、凡庸な写生句であることは否めません。「年木樵(き)る」と強い意思が入ることで、主体は作者本人であることが明確にわかります。
俳句には、上五から下五に向かって景を広げていく叙法と、その逆に下五に向かって景を絞り込んでいく叙法とがあります。掲句は後者にあたります。私がこの句に魅かれるのは、「ひとりの」「斧の」「音の」と絞り込んでいって、「中」と着地した「言い切り」の見事さもあります。が、それ以上に、景を絞り込んでいったその先に、十七文字の奥にひそんでいる作者の崇高な「魂」の存在をはっきりと感じとることができたからです。言葉を収斂させて束ねていった「要」に、「年神を敬う魂」があるのです。この粛々と斧を振り上げる「敬虔で厳粛な魂」が、美柑さんに「年木樵(き)る」の句を詠ませているのです。
予期しない瞬間にふっと俳句が浮かぶことを「天籟(てんらい)」といいます。まさに美柑さんのこの句こそ嘘偽りのない「天籟の一句」だと思いました。
こどもの頃、煮炊きも風呂も燃料はすべて薪でした。秋も深まると、祖父や父たちは一年分の薪を割って木小屋の壁に積み上げていきます。牡蠣や海苔養殖の仕事がある祖父や、教員の父だけではとても手に負えません。おおかたは家々を廻って薪割りの手間賃を稼いで歩くひとたちの人手に頼りました。
その薪割りの老人を、私たちは「ちょん切りさん」と呼んでいました。誰も戸籍上の正確な名前で呼ぶひとはいませんでした。祖父よりは若くは見えましたが、父よりは遥かに老けていました。小学生の私から見ても小柄でひ弱に見えました。が、ねじり鉢巻に半袖一枚で斧を振り上げると、二の腕の力瘤が満月のようにくっきりと盛り上がります。垂直に立てた榾(ほだ)の丸太を、気合もろとも真っ二つにし、たちまちのうちに四等分、八等分と小気味よく割っていくのでした。
暖かいうちは、道路工事の作業小屋や神社のお堂で寝泊りしながら、家々の手間仕事をしていましたが、私の家に来ると、納屋に布団を敷いて、そこを寝場所としていました。寝たばこを欠かさないので、祖母はしばしば、「吸ってもいいから火だけは気をつけろよ」ときつく注意をしていました。薪割りが終わると、酢味噌を肴にして湯飲みに注いだ酒を飲み、指が焦げるほど短くなったたばこを、頬をくぼませて美味そうに吸っているのでした。
ちょん切りさんは祖母の実家の近所の生まれでした。長屋門のある大きな家でしたが、その父の代に身上を潰して田畑、屋敷が人手に渡り、屋敷の隅に藁小屋の小さな家を建てて兄の一家が住んでいるのでした。「道楽者で昼日中から赤い着物着て酒ばっかし飲んでいるひとだった」。彼の話をするたびに、祖母はその父のことを悪しざまに言いました。「めんこくて賢いわらしだった。穀潰しの親のため学校にも行けなくなって……」。彼が来るたび、祖父の着古しのシャツやズボンをわたしたり、たばこや食事を与えてなにかと面倒をみるのでした。彼もまた、実家の兄の家に行って来ると、そこで見たり聞いたりした祖母の実家や隣近所のあれこれを、みやげ話のように、得々と祖母に報告するのでした。
彼の手伝いを重宝に思いながらも、罵詈雑言を吐いたり、愚図だ、のろ間だとひと扱いしないひとたちが何人もいたのでしょう。そんな仕打ちがいくつも重なってか、いつもひとの目を正視しなかったり、たばこのヤニで黄色く濁った歯を見せてたびたび舌打ちしたり、卑屈さが態度に現れているのが小学生の私にもわかりました。道ですれ違うと、ちちちちと舌打ちしながら「……の馬鹿やろう」とか「ひとを馬鹿にしくさって……」と、ぶつぶつひとり言を言っているのでした。
そんなちょん切りさんが、「おやっ!」と思う表情を見せたことが一度ありました。
小学二年の時、私はうさぎを飼っていました。初めて動物を飼った嬉しさに、せっせと草をむしって世話をしました。ある時、毛皮にするうさぎを買い集めるうさぎ買いがやって来ました。「いいうさぎだな。売らないか? 高く買うぞ」。換金のためにうさぎを飼っているひとたちもいましたが、私はそんなつもりで飼っていたのではありませんでした。けれども、遊びに夢中になって、母たちの手を煩わせることもたびたびあったので、「大きくなったし、もう売ってもいいだろう」と祖父は思ったのかもしれません。「そのうち、代わりの小うさぎを持って来る」と言ううさぎ買いの言葉に続けて、「そうしろ、そうしろ。小さいほうが飼いやすい」と私を促しました。私は、うさぎ買いの肩の袋の中でもぞもぞ動く、飼っていたうさぎにうしろめたさを感じつつ、代わりに来る小うさぎに思いを馳せてそれを見送りました。
ところが、代わりの小うさぎはいつになっても来ません。うさぎ買いが現れるたびに、「うさぎは? 代わりのうさぎはいつ来るの?」と訊いても言葉を濁してはっきりとしません。「ああ、今度な。今度来るとき必ず持って来る」。そうはぐらかすのも、二度や三度ではありませんでした。「代わりのうさぎなんか持ってくるわけないよ」。遊び仲間のさぶちゃんに話すとそう言い、「おまえはだまされたんだよ」と一笑します。私は、取り返しのつかないことをしてしまったと青くなり、悔しさに唇を噛んでさぶちゃんの笑い声を聞いていました。
本家の伐採したお薬師山の雑木が、リヤカーで何台も私の家に運ばれ、木小屋の前が丸太で山積みになった、秋も深まる頃でした。うさぎ買いが、長靴の音をごぼごぼ立てて坂道を下りて来るのが見えました。畑にいた祖父に声を掛けながら私の家に近づいて来ます。私は、さぶちゃんの言葉を思い出し、転がっていた棒切れをつかんで鶏小屋の影に隠れました。「今日こそうさぎの復讐をしてやる。絶対仇を討ってやる……」。見つからないようにしゃがみ込んで、うさぎ買いが近づいて来るのを待ちました。心臓がどきどきして、棒切れを握った手が汗ばんできました。
長靴の音が近づいて来ます。棒切れを握りなおし、息を殺して待ちました。うさぎ買いの影が鶏小屋の前にかかるのを見て、握り直した棒切れで思いっきり下から払いました。うさぎ買いが担いでいた袋を放り出し、大きな悲鳴をあげて地面に転がります。私は、脛を抱えてうずくまるうさぎ買いになおも打ちかかりました。肩を打ち、顔をかばおうと突き出した腕を目がけて打ち下ろしました。棒切れが折れて破片が飛び散ります。二つに折れた棒切れを投げつけ、首筋を蹴飛ばしました。「やめろ、やめろ!」と大きな声を上げて祖父が走って来ます。一瞬、逃げよう思いましたが、足が動かず、そのまま祖父に取り押さえられてしまいました。ほうり出された袋から、うさぎ買いが集めてきた大きなうさぎが二羽飛び出し、きょとんとした顔をして私を見上げていました。
祖父は首の手ぬぐいで額を拭きながら、立ち上がって憮然として足をさすっているうさぎ買いに何度も何度も侘びを言います。「お前もお詫びしろ!」と、私の頭を押さえつけて下げさせようとします。祖父の力に抗いながら「うそつき!」とうさぎ買いを睨み返しました。そんな私に業を煮やしたのか、祖父は「来い!」と私の襟首をつかんで歩きだします。案の定、私はそのまま倉の真っ暗闇にほうり込まれてしまいました。
倉は収穫した小麦や大豆の貯蔵庫でした。いたずらをすると、「倉に入れるぞ!」と言うのが親たちの威し文句でした。重い戸を閉めてしまうと、鍵穴から光が一筋さすだけで真っ暗になってしまいます。自動的に錠が下り、泣きわめいて泣きつかれた頃、外から開けてくれるまでは出ることができないのです。もの心がつく頃からたびたびほうり込まれましたが、何度入れられても、黴臭い暗闇に慣れることはないのでした。
祖父の足音が遠ざかるのを待って、戸を引き開けようとしました。びくともしません。無駄とは知りつつ、押したり引いたりしました。戸がわずかに動くだけで、それ以上は微動だにしません。悔しさに、思いっきり蹴りつけました。めりっ、と音がして戸板が反ります。意外なもろさに驚きながら、夢中で蹴りました。外の光が少しずつ入り込んできます。何度も蹴り続け、くぐり抜けるくらいの隙を作って這い出しました。私は、そのまま暗くなるまで家には帰りませんでした。
こっぴどく叱られるだろうと覚悟して帰った私に、祖父はひと言も小言を言いませんでした。ばかりか、しばらくしてから、私を倉に連れていって「こうなってるんだ」と、懐中電灯の明りを頼りに錠の仕組みを教えてくれました。祖父の言ったとおりに、指先で錠を持ち上げながら戸を引くと、難なく開けることができました。仕組みのあまりの簡単さに呆れながらも、細工の巧妙さにつくづく感心してしまいました。「あんまり無茶するなよ」と後ろから祖父がぼそっと言います。うさぎ買いにふるった暴力のことを言ったのか、倉の戸を蹴破ったことを言ったのかわかりませんでした。
その翌日から、ちょん切りさんが来て薪割りを始めました。私は丸太に腰を下ろして、それを見ていました。その向こうで祖父が、倉の戸を修理しています。祖父がいなくなると、「やったのか?」と、ちょん切りさんが小声で話しかけてきます。一瞬、何のことかわかりませんでした。「えっ?」と顔を上げると、「あれだよ。あれ」と、顎で倉を指し、「壊したのか?」と、ぶっきらぼうに続けます。潮風に晒されて黒ずんだ倉の戸の、その部分だけが真新しい板でふさがれています。「うん」と肯くと「はははっ! やったのかぁ」。ニッ!と笑って首をすくめます。いつもは卑屈に黄色く濁っている小さな目が、その瞬間だけいきいきと輝いたように見えました。
「やってみるか?」と、たばこを燻らせながらちょん切りさんは私に斧を握らせました。私はそれを持ち上げて、初めて薪割りに挑みました。切株に乗せた薪に向かい、斧を振りかざしました。力いっぱい振り下ろしたにもかかわらず、ちょん切りさんのように上手くはいきません。斧が薪に跳ね返され、握った手がしびれて痛くなるだけでした。再度挑戦しても、刃先が薪にがっちり食い込んで、抜くことも外すこともできなくて往生するのでした。
木隠れにもひとりゐるも年木樵 池内たけし
年木割つて少年の手の痛かりけり 山口誓子
年木積み即ちこれを風除に 高浜虚子
今もなほ年木を積みて旧居守る 刈谷桂子
豆殻も添へて年木を積み終わる 松本篤子
例句を読みながら、ふっと、雑木山の木たちが次々と伐り倒されていった光景や、木小屋の壁に高く積まれた薪の山、あたりに立ち込める割り木のすがすがしい匂いなどをまざまざと思い出します。斧を振りあげて薪にはね返されたときの、しびれるような手の痛みは強烈でした。あの日を最後に、私は倉にほうり込まれることもなくなったのでした。





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