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| 《新版 万葉秀歌365》について
よりよきアンソロジーの制作を目指して、昨年の《万葉秀歌365》に種々の改訂を施して新版と銘打ち、今年1年を通じて1日1首お送りいたします。 (2006. 1.18 追って書き) 《万葉秀歌365》について 昨年はこの欄に《今日の言葉》を掲載しましたが、今年2005年は、小社が選んだ「万葉秀歌365」の一首ずつを、元日より大晦日まで毎日掲載します。欧米の名言から一転して、このたびは和歌のアンソロジーです。 戦後60年、日本語表現が衰弱の一途を辿っているように思われます。祖国とは母語であるという言葉にはなはだ共感を覚える者として、日頃使っている言語の現在を注視してみると、うそ寒さを感じてなりません。 万葉の歌はこのうそ寒さをはねとばしてしまいます。おおらかさ、みずみずしさ、形と一体の歌い出しの自由さ、真率さ、懐の深さ、そして歌としての完成度の高さは、えも言われず、その後作られた勅撰集の「名歌」群と比べても、優りこそすれ、けして劣らない作品が、有名歌人によるもの、作者未詳のものを問わず、目白押しに居並んでいます。 成立は8世紀の後半、詠作時は450年以上にわたるという現存最古の歌集のことゆえ、一見して語義不明の語が一首に一つ二つは必ずあります。しかし、何度か頭の中でもしくは声に出して読んでみると、香り豊かな風気とともに何やら伝わってくるものを覚えます。この感じが大切なのではないかと思います。わからない語は頭の中にしまっておくなりメモするなりしておいて、よいしおにその語を辞書に当ってみるだけで理解がかなり進み、喜びが更新されるのを経験します。 縁語や掛詞などの技巧の勝った繊細優美な歌とは違い、言葉に籠められたものが素直に伝わってきて、むしろわかりやすいとさえ言えるのです。このような歌集を古典として持つことの幸せを感じます。 この「万葉秀歌365」を編むにあたって、多くの先人の業績を参考にしました。とりわけ島木赤彦の『歌道小見』と『万葉集の鑑賞及び其の批評』には、歌の味わい方のそもそもの基本から学ぶことを得ました。 選の対象は、長歌・旋頭歌等は除外し、短歌4200余首とし、排列は、四季のめぐり、ときに記載のある詠作日時になるべく合致するように(陰暦陽暦の違いにはかかわりなく)したほかは、感興を殺ぐことを恐れて詳しくは申しませんが、秀歌のなかでも特段にすぐれたものと、厖大な数の民衆歌人の存在がうかがえる作者未詳歌の配置には心しました。たとえば、後者に含まれる東歌・防人歌は原則として日曜日に配することとしております。 なお、*印は、掲載歌に──相聞、もしくは唱和、贈答を成すものとして──答えている歌が、翌日掲げられることを示します。 日の移ろいとともに本欄での登場を終えた歌は、毎月半ばに、それまでのものをとりまとめて《万葉秀歌365ふばこ》に格納します。 この1年、日々に、「日本語のふるさと」とも言うべき、意外に「新しい」古典中の古典に触れて、活力を、「元気をもらう」ようおすすめします。 (2005. 1. 1)
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